ニッポンダンシングブラザーズとは

 何故ニッポンダンシングブラザーズが日本最大の技術団体と言われるのですか。
 それは全国の、ニッポンダンシングブラザーズ会員の経営するダンス教室、その教室に在籍する教師の人数、生徒数、そして競技会に出場して技を競い合う競技選手の数が、他の団体より圧倒的に多いからです。

 何故其の数が他団体より圧倒的に多いのですか。
 団体は人の集まりです。その善し悪しは人が判断します。リーダー達が、常に「正統ダンス を伝えよう」と言う、無心な行動が日本最大の技術団体へと成長ならしめたと言えるでしょう。

 ダンシングブラザーズ結成の先覚者(リーダー)は誰方ですか。
 初代会長は、助川五郎先生・次代会長は、毛塚睦雄先生ですです。両先生とも故人となられています。

 両先生の人物像についてお聞かせ下さい
 両先生とも正統ダンス普及一筋に生涯を全うされた方です。日本競技ダンス連盟会長・故藤村浩作先生は両先生につき、次の様に語られた記録が残されています。

《以下DB創立50周年記念プログラムより》

助川五郎先生(初代創設者)
当時、敗戦後の混乱と貧困の世相の中、社交ダンスは、娯楽がなく老廃した日本の社会風土の中で、爆発的なブームとなって流行したのである。その様な時勢に、社交ダンスの高度な 技術を、ダンス振興の全面に打ち出し、技術団体「ダンシングブラザーズ」が誕生したのであ る。創設者は言うまでもなく、当時の若き風雲児「助川五郎」君であった。今思えば、当時の社交ダンスに対する風評や社会的評価からして、競技ダンスを主流に、業界をリードした助川五郎君の判断は正しかったと、万人が彼の先見性を高く評価するゆえんである。此の偉大な指導者、助川五郎君により育成されたダンシングブラザーズから、毛塚睦雄・三桝良一と言う不世出のチャンピオンが誕生し、続く桝岡肇・鈴木操、両チャンピオンを育て、全国に其の名「ダンシングブラザーズ」の知名度を轟かせたのも、知る人ぞ知る。燦然と輝く DB歴史上の金字塔である。

毛塚睦雄先生(2代目会長)
盟主「助川五郎師」なきあと、故人が手塩にかけて育てた元チャンピオン毛塚睦雄君によって 引き継がれ、毛塚鉄雄・本田季久・毛塚道雄のチャンピオンを育て、棋界の名門団体として更 にダンシングブラザーズの名声を高めた。故人、毛塚睦雄君を語るには、温厚実直、又業界 切っての常識人であった事は万人の認めるところである。

毛塚鉄雄(3代目会長)
毛塚陸雄君が健在中、会長職を勇退し、毛塚鉄雄君へと引き継がれ、チャンピオン桜田哲也 ・そして今日の、天野博文が誕生するのである。毛塚鉄雄君と言えば、其の一直線の性格からして、豪快なDBの血統そのものである。

《そしてDBの全体像について》
此の様に限りなく発展をなし得た[DB」が、今年創立50周年を迎える事となった。思うに創 設者、助川五郎君の偉大さ、そして当時、選手として活躍した毛塚睦雄君の時代は、毎日が 貧困との闘いの連続でもあった。時は流れ、今日のダンス界の隆盛を見る時、困難な時代を耐え抜いて、今日迄生き抜いて来た人達より、恵まれた環境で育った若手の教師、選手達が大半を占めようとしている。 ダンシングブラザーズの幹部諸君も、栄光在るDBの根幹を築いた故人、助川五郎君、毛塚 睦雄君、両名の業績を次の時代の人達に語り伝えて今後の発展の要として頂きたい。現在、我国ダンス界の東西南北を通じて活躍する指導者の大半が、助川・毛塚、両君の門下生である事も茲に銘記し、毛塚鉄雄君が率いる、ダンシングブラザーズの総力を結集した今宵の創立50周年記念行事が、盛会を極め業界統一の原動力となることを念じてやまない。
(以上故藤村浩作先生記)

本田季久(4代目会長)
現在は温厚、清廉潔白で知られる、元チャンピオンの本田季久が、会長職を引き継ぎ、北海道から九州迄、OB・現役、一般教師・ダンス愛好家の支持を受けダンス普及に邁進し、チャンピオン千田修治が誕生しています。本田会長の元、更に会員一同一丸となって、DBの業績を繁栄させるよう頑張っています。

山本千恵子(5代目会長)